渡辺淳一の連載(エロ)小説「愛の流刑地」&ピーター・ドラッカーの「私の履歴書」が最高に面白いので日経新聞を読むのが楽しい毎日が続いてます。そんな中、今日の文化欄(私の履歴書の隣)にあった「視覚障害越え42.195キロ完走 − 銀行勤めの傍らマラソン12回、伴走者と“二人三脚”−」という記事には激しく感動いたしました。
この記事では全盲の障害を抱える高木一幸さんが過去12回フルマラソンを完走したドラマチックでチャレンジングな体験談が紹介されています。29manも今までに3回フルマラソンを完走していますが、視覚障害を持つランナーが伴走者と共に一生懸命ゴールを目指す姿を何度か間近で見た事があります。その姿は本当に勇敢で力強く、自分もレース中で相当辛い状況でありながら声を張り上げて声援を送ると同時に彼等から勇気をもらいました。高木さんは障害者と健常者がともにランニング、ウォーキングを楽しむ「アキレス・トラック・クラブ・ジャパン(ATCJ)」という1983年にアメリカで発足した団体の日本支部の代表だ。高木さんからのメッセージは・・・
早速ATCJのサイトへアクセスしました。「あっぷる会報」という会報誌にて2002年ニューヨークシティマラソン特集がありました。去年29manもニューヨークシティマラソンに参加したので全部読みました。会社で溢れ出そうになる涙をこらえました・・・
弟は、網膜色素変性症という目の病気を幼くして発症したため、就学前から夜盲、視野狭窄、弱視などの視覚障害があり、加えて若干の運動障害もあり、元々運動が苦手だったのが、大学在学中にはほとんど視覚を失い、それ以降は外で体を動かす機会も無く、家にこもりがちになっていた。
'97年春にアキレスは、あらゆる種類の障害者を受け入れると知って入会し、始めは歩いていたのだが、肢体障害の木村敏雄さんに駅伝参加を誘われて走り出し、昨年9月のタートルマラソンでは、ハーフマラソンを4時間余りをかけて完走するまでになった。いよいよ来年はニューヨークでフルマラソンを、と練習に励んでいた矢先の発病、入院だった。
私の高校時代からの友人が作ってくれた、弟の名と写真の入った布のプリントを胸と背につけて走った。背中には背幅いっぱいに大きくブルーの字でTAKASHI'、その下にはアキレスのTシャツを着た弟の写真。胸にはゼッケンの上に、背中より小さな字の名前の横に写真。今年はアキレスのメンバーは赤いTシャツを着たが、私は弟の写真とおそろいの白いTシャツを着た。
何しろ三万二千人以上のランナーが走るのだ。密集の中では、私の胸と背のプリントも他人には見えない。時々集団がばらけると、沿道から「ゴー、アキレス!」「タカシ!」と声がかかる。弟の名を呼んでもらう度に涙が出た。
まだ、フルマラソンで伴走するほどの走力や経験が足りないので、まずは10Kやハーフマラソンから伴走者として走ってみたいと心の底から思いました。また一つ走り続ける理由が見つかりました。
いつかフルマラソンで伴走します。きっと。必ず。
これを目標にこれからも走り続けたいと思います。いつか伴走体験記をブログで書けるようになりたいです。
最近のコメント